三陸鉄道南リアス線

(釜石駅、唐丹駅、吉浜駅、盛駅)

 2012年3月

 

前回は三陸鉄道北リアス線を紹介しましたが、今回は南リアス線の現況レポです。

訪れたのは2012年3月19日。

最初に向かったのは釜石駅でした。

 

 これが釜石駅全容。

 

隣はJR釜石駅。

JR釜石線は運行しているので、駅は機能しています。

 

ここは通常ならば、JR釜石線、JR山田線、三陸鉄道が発着するターミナル駅です。

 

南リアス線は全線運転休止中ですが、営業自体はしていました。

というか、3月17日までは閉鎖していて、

18日にジオラマカフェとして再開したばかりだったようです。

 

中に入ると三陸鉄道を再現したジオラマがありました。

製作は宝島模型です。

ここではこのジオラマを見ながら軽食も食べられます。

 

 到着したのが14時頃で腹も減っていたので、早速さんジオセットをオーダー。

これは1つずつでも350円で食べられますが、3つのセットにすると900円で食べられてオトクです。

内容はタコライスとカレーとめかぶ丼です。

他にも飲み物やスイーツなんかもありました。

 

食券はきっぷの自販機を使って購入するので、本物のきっぷになってます。

分かりにくいですが、右側がさんジオセットで、左側がコーラの食券です。

もちろん記念にもらえます。

 

壁にはこんなポスターもありました。

鉄道むすめで後から登場した釜石まなだそうです。

色んなところで一役買ってますね。

 

先輩キャラの久慈ありす運転士。

このポスターは25周年のものみたいですが、

全線で運転再開が予定されている2014年は、ちょうど30周年になるようです。

全線復活の際に、本当に若い女の子の運転士がいたら話題になりそうです。

 

ここが再び使われるようになるまでは、あと2年の予定です。

 

腹も満たされ、いよいよ盛駅に向けて出発しましたが、

海に近づくにつれて街の様子も一変。

 

途中、釜石港に立ち寄ってみました。

海は穏やかです。

 

市街地の方を見てみると、震災当日にNHKで放送された、

津波に襲われる釜石港で映っていた国道45号線の高架が見えました。

あの映像は奥の山側から撮影されていたようですね。

 

釜石港付近の三陸鉄道の高架です。

ここは津波でも壊れずに残ったんですね。

 

国道45号線を南下していくと、唐丹(とうに)駅に着きました。

ここは津波が到達し、被害が甚大だったところです。

 

プラットホームに登ってみました。

列車は来ないですが、綺麗になっていますね。

どうやら地元の人たちがボランティアで掃除をしてくれているようですね。

 

ホームから海を見る。

海まではかなり近いところにあることが分かります。

 

 津波は線路に到達し、鉄道施設にかなりの被害を及ぼしました。

 

ここは道床が流されたのでしょうか。

 

こっちはレールが曲がってしまってますね。

 

続いて吉浜駅に行ってみました。

ここは高台にあるので津波の被害はありませんでした。

 

ホームには1両だけ、36−106が停車していました。

おそらく地震のとき、吉浜〜唐丹間の鍬台トンネルに緊急停車して取り残された車両だと思います。

去年の6月にここまで自力で回送したそうですが、

前後の線路が寸断されているのでこれ以上動かせないのです。

 

最後に盛駅に行って見ました。

ここは現在ふれあい待合室となっています。

 

隣はJR盛駅ですが、JR大船渡線も運休しているため列車は来ません。

そもそも線路が途中で寸断されているので物理的に無理です。

 

駅の脇にある歩道橋から撮ったもの。

駅に被害はないように見えますが、ここにあった車両は床下まで海水に浸かり、

復活出来るか微妙だとか。

右側の貨車は岩手開発鉄道のもので、こちらは既に再開しております。

 

反対側を向いて撮影したもの。

三陸鉄道の車庫が見えます。

ちなみに右側の線路がJR大船渡線、左側が三陸鉄道です。

しかし・・・

 

アップにしたもの。

大船渡線の線路はなくなっています。

 

写真は以上ですが、見ていただいた分だけでかなりの被害があったことが分かると思います。

普通なら赤字路線だし、復旧費用を考えれば廃止することもあり得るでしょう。

それでも三陸鉄道は復活させて走り続けることを選択しました。

その真の理由は何なのか。

 

簡単です。

もちろんこの地に必要なものだからです。

震災からたった5日で走り始めたことが何よりの証拠です。

道路はがれきで通れず、車は津波で流され、残ったのは鉄道だけ。

 

この地は過去にも大きな津波で何度も被害を受けています。

それでも何度も立ち直って、私達に三陸産のおいしい魚介や特産物を届けてくれています。

自分達がどんなに辛い目にあっても、

この地でしか獲れないものを送り出すことが日本のためになると信じているから。

そして私達はその恩恵にあずかっている。

 

だったら、今度は私達が支援する番ではないでしょうか。

しかし、個人で出来ることは限られています。

それでも、少しずつでも、多くの人が同時にやれば大きなものになる。

 

そして復活した時に鉄道を利用するのは、

車を運転出来ない学生や子供達、お年寄といった立場の弱い人達。

 

多額の復旧費用を税金で賄うことに対して、批判的な意見もありますが、

本来税金というのは、もちろん国の発展のためにも使われますが、

こういった弱者のために使われるべきであって、

そういう考え方がしっかりしていれば格差なんて生まれないのです。

 

この震災は、今一度日本に何が必要なのか、考えるきっかけにもなって欲しいと思っています。

 

しかしあまり大きなことを言っても仕方がないので、

個人でも出来ることから、やっていこうと思っています。

 

以上です。

 

なおその13では、

ついでに見てきたJR大船渡線やJR気仙沼線についてのレポを書きます。

 

前のページへ戻る