JR石巻線、仙石線、JR貨物石巻港駅
(女川〜渡波、石巻、石巻港駅、陸前小野〜高城町)
2012年4月
今回は石巻線、仙石線の不通区間の全駅をレポートします。
またJR貨物石巻港駅もレポートします。
訪れたのは2012年4月22日。
スタートは女川駅。
ご存知の方も多いと思いますが、ここは津波の被害が大きく、
駅に停車中だったキハ40系気動車が海抜20m以上もある高台の墓地に打ち上げられていました。
写真は現在の女川駅。
辛うじて島式だったホームが残っています。
ここは駅舎からホームへと続く階段部分だったところです。
奥に海が見えます。
石巻方を見る。
ホームは工事車両の通行のため一部取り壊されています。
さらに石巻方へ移動して撮影。
以前ここにはSLホエール号として走ったC11を見に来たこともありました。
不思議なことに昔からある神社なんかは難を逃れているんですよね。
昔の人たちが残したメッセージなのかもしれませんね。
女川駅を発車するとすぐトンネルがありました。
レールは撤去されていますが、ルートはなんとか分かります。
しかし女川駅方を見るとどこが線路敷なのかよく分かりません。
写真中央は多分踏切だったところだと思います。
女川トンネルです。
震災時はこの中にも津波やがれきが入り込んだようです。
中はレールこそ残っていますが、防音シートかなんかの内壁が剥がれてしまっています。
次の駅への移動中に見つけた花壇です。
「女川に笑顔の花を咲かせましょう!」と書いてあります。
花は「心」という文字になるように植えられていますね。
こんな状況でもなんとかしたいと頑張っている人はいるんです。
しかし現実として周りはこんな状況です。
鉄筋構造物が転がっています。
今まで色々なところを見てきましたが、こんな状況は初めて見ました。
女川を出て次の駅が浦宿(うらしゅく)駅。
ここは目の前が海なんですが、津波は来たものの大きな被害はなかったようです。
女川との一番の違いは湾の中か外洋に面してるかだと思います。
ここ万石浦は湾と言うより潟湖状になっているので、被害が少なかったものと思います。
写真は石巻方です。
ここから渡波まではその万石浦沿いの路線のため被害が少なく、
同じ位置で平成25年度初めをめどに再開予定となっています。
しかしここから女川までは同じ位置で再開というわけにはいかないでしょうね。
写真は女川方です。
続いて沢田駅です。
ここは震災後、地盤沈下により満潮時には冠水してしまうようです。
石巻方を向いて撮影。
手前の道路は冠水対策と思いますが、かさ上げをしています。
昭和35年までは列車の交換が可能な駅だったとのこと。
女川方。
レールは冠水のためか、赤錆びてしまっています。
このとおり、錆びついてそれが剥がれて浮いてきています。
踏切は休止中の札が貼り付けられています。
そして万石浦から離れたところにある万石浦駅。
当然津波の被害はなし。
駅舎の中は地元の高校生が書いたものと思われる落書きだらけでした。
石巻方。
地震のためレールは多少動いているようです。
女川方。
一年走らないだけで廃線みたいになってしまいますね。
そして石巻線の現在の終着駅、渡波。
ホームには小牛田行き列車が停車中。
キハ48×2の編成です。
ここのキハ48は海側の椅子が一人掛けになっているのが特徴みたいです。
もともと対向式ホームで2面2線でしたが、現在は構内踏切に下りる階段は埋められ、
2番線は全く使用していないようで、1番線のみを使った折り返し運転になっているようです。
女川方は車止めが設置されています。
たまたまネコが横断していきました。
そして石巻駅に立ち寄ってみました。
ここは津波が到達し、駅構内に停車していた仙石線205系M7編成が被災。
水がなかなか引かなかったため、床下機器が3日間海水に浸かった状態になったとか。
仙石線ホーム。
現在運転再開している石巻〜陸前小野間は送電設備が被災したため、
電車の205系3100番台ではなく、気動車のキハ110形200番台陸羽西線用が代走しています。
その奥に被災したM7編成が放置されていました。
このまま解体されるんでしょうかね。
駅舎に貼ってある津波の浸水位置を示すステッカー。
路面から70〜80cmくらいでしょうかね。
駅のすぐ脇にある歩道橋から小牛田方を撮影。
よく見るとさっき渡波にいたキハ48がもう到着してますね。
続いて石巻港駅に行ってみました。
かなりの被害があった模様です。
DE10がひっくり返っている写真を見た人もいると思います。
石巻港駅を出てすぐの踏切から駅構内を見る。
現在はレールは全て撤去されています。
踏切にレールは残っていますが・・・
先はありません。
山下駅方も撤去されています。
しかしこの先には工事用の測点が打たれていたので、復旧に向けた動きは始まっているみたいです。
続いて石巻側の仙石線の現在の終点、陸前小野。
本来は島式ホームで1面2線で列車交換が可能ですが、
現在は2番線のみ使われていて、ここで折り返し運転になっています。
石巻方。
仮設ホームの設置のため単管パイプが1番線を覆っています。
仙台方。
分岐器の上に仮設ホームが設置されています。
ホームの上から仙台方を見ると車止めが設置されていました。
ホームの下に線路が延びて不思議な光景です。
当然架線もホームの上をクロスしています。
仙台方の先には鳴瀬川橋梁が見える。
石巻方。
信号機は使えないため×がしてありました。
現在はスタフ閉塞方式で運行されています。
駅名標です。
左側は本来なら野蒜と書かれていますが、シールを貼って隠しています。
ここから先が不通区間となります。
その野蒜駅です。
津波によって壊滅しました。
駅前商店もこの通りです。
地元の有志が積極的に働きかけているようですが、
この区間は内陸側に線路を移して復旧することが決まっていて、
2015年度内を目標に復旧させるとしているようです。
他にもメッセージが。
地元の仙石線への思いは熱いですね。
駅構内です。
米軍と自衛隊とでソウルトレイン作戦が行われてがれきが撤去されたものの、
結局はここに列車が走ることはもうないでしょう。
何もかもが破壊されています。
駅舎の裏側も手付かずのままです。
架線も垂れ下がっています。
駅構内には地元の人が植えたと思われるすいせんが芽を出していました。
構内踏切から石巻方を見る。
地震の時この先で止まった列車は何とか難を逃れ、陸送で運ばれていきました。
2番線ホームです。
1番線ホームです。
駅の周りの家も津波で流されました。
仙台方です。
地震の時この方面に向かった列車はまともに津波を受け、後に廃車されました。
2番線の線路は押し流されています。
道路標識も倒れていました。
この駅名票もすっかり海水に浸かったようです。
東名駅です。
震災時は枕木ごとレールがめくれ上がっていましたが、現在は撤去されています。
ホーム上から石巻方を見る。
この駅は内陸側に移動して復活することが決まっています。
仙台方。
踏み切りも右側の警報機だけ残っています。
その警報機にも休止中の札。
踏切の先を見る。
レールは撤去されています。
陸前大塚駅です。
目の前が海なので津波は来たようですが、奇跡的に大きな被害はなかったようです。
この駅は現在の位置のまま再開することになっています。
海抜ゼロメートルです。
石巻方を見る。
先に見える半島の右側海沿いを仙石線は走っていましたが、再開時は左側に移ることになるでしょう。
ホームは地震で段差と亀裂が出来ていました。
仙台方です。
目の前は松島湾ですが、湾の中は壊滅的な津波にはならなかったようです。
さすがにレールは錆びています。
陸前富山駅です。
ここも目の前が海のため津波は来ていますが、移設の予定はありません。
駅というか待合室は閉鎖され、ガラスは外されています。
石巻方です。
地震と津波でレールも歪んでいます。
ホームも一部崩壊しています。
仙台方です。
ここの海も松島湾のため、被害は抑えられています。
駅の脇にある踏み切りも休止中。
しかし機器類は全て残っています。
手樽駅です。
ここは内陸側にあるため津波の被害はありません。
次の高城町までは運転しています。
石巻方です。
地震でレールは多少歪んでいます。
仙台方です。
もう何年も走っていないかのような荒廃ぶりです。
ホームも一部損壊しています。
仙台方のレールはかなり歪んでいます。
架線柱もかなりの数が傾いているようです。
高城町駅です。
現在はあおば通からここまでは再開しています。
ちょうど2WAYシート車が入っていました。
ここまでは電気が来ているので信号も使えます。
写真は石巻方です。
これで写真は以上です。
今回の視察区間は一部を除いて復活することが決まっている区間でした。
特に仙石線は被災線区の中でも沿線人口が多く、利用者も多いため、
復活決定も早かったものと思いますが、
他の線区でも一日も早い復活を願うばかりです。
女川地区に関しては、街そのものの再建をどのようにするか、
そこが決まらないければどうしようもない状態ですから、
何とか関係者に頑張っていただいて、
一日も早い復活を期待します。
以上です。