空中写真で見る秋保電鉄
2012年10月
その16で空中写真で見る仙台鉄道の改訂版をやりましたが、
当時の仙台の北の玄関口、北仙台駅から出ていた仙台鉄道をやったなら、
南の玄関口である長町から出ていた秋保電鉄もやらないとダメだろう、
と勝手に思い立ち、作ってみました。
廃止されたのが昭和36年(1961年)ですから、それから今年で51年経過しました。
使用した空中写真は昭和59年(1984年)で廃止から23年後ですが、
グーグルアースで最近の地形などと見比べても面白いと思います。
利用した写真情報
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)
さて早速始めたいと思います。
まずはざっと始点の長町から終点の秋保温泉駅まで廃線跡を追ってみます。
長町駅から西多賀駅付近まで。
西多賀駅付近から鈎取駅付近まで。
昭和50年の空中写真では、線路跡が現在の286号線の南側歩道付近に確認出来ます。
鈎取駅付近から旗立駅付近まで。
旗立駅付近から萩の台駅付近まで。
太白山駅から萩の台駅間は、東北自動車道の工事の際にかなり手が入ってしまい、
ルートがはっきり分かりません。
萩の台駅付近から茂庭駅付近まで。
茂庭駅付近から北赤石駅付近まで。
北赤石駅付近から磊々峡駅付近まで。
磊々峡駅付近から終点秋保温泉駅まで。
かなりざっくりとはしてますが、萩の台駅付近以外は大体合ってると思います。
萩の台駅付近は東北道建設の際にかなりいじられたようで、
昔の写真から完全に推測するのは難しいです。
ちなみに線路や駅の位置については、ネット上の色々な情報や、
国土地理院の昭和20年代からある空中写真をもとに推測しました。
続いて各駅の写真をアップしてみます。
始点の長町駅です。
現在はたいはっくるが建っています。
この写真を撮影した頃は宮城交通の車庫として使われていますね。
右側には既に新幹線も確認出来ます。
ホームは円を描くような構造で、線路は旧国道4号線際で車止めでとまっていた様です。
実は1920年代にここから仙台鉄道通町駅まで、青葉軌道という鉄道で結ぶ計画があり、
実際に1925年には許可が下りたものの、資金不足のため1928年に中止となったそうです。
結果的にはこの区間は後に仙台市電で連絡されたわけですが、
旧国道4号線には当時その仙台市電が走っており、秋保電鉄前電停があったとのことです。
東北特殊鋼駅てす。
軌間を762ミリから1067ミリへ改軌し、電化した10年後の1935年に開業。
開業当時は長町裏町駅という名称でしたが、1941年に東北特殊鋼駅に改称。
しかし1946年には廃止されたという短命の駅だったようです。
交換設備はなく1面1線だったようです。
現在では東北特殊鋼跡地にモール長町が建ち、南向かいは太白区役所があります。
西多賀駅です。
開業当初の名称は富沢駅でしたが、1935年に西多賀駅に改称されました。
交換設備があり、2面2線の対向式ホームと、車両留置線があったようです。
電鉄廃止後には合併した仙南交通の寮が建ったとか。
北に行くと三神峯公園があります。
昭和33年頃の西多賀駅。
(仙台市のホームページより引用)
鈎取駅。
開業から廃止まであった駅で、改称もなかったようです。
交換設備があり、2面2線の対向式ホームだったようです。
このあたりは現在でも廃線跡が確認出来ます。
鈎取駅南側は現在大きなショッピングセンターになっています。
月ヶ丘駅です。
昭和31年に開業ということで、廃止まで5年間のみ使用されたようです。
おそらく当時急激に進んだ付近の宅地開発による需要を見込んで作られたものと思います。
交換設備があり、1面2線の島式ホームだったようです。
最近まで宮城交通の月ヶ丘入り口停留所がありましたが、現在はこの道路を通るバス路線もなくなりました。
旗立駅です。
大正15年に開業して廃止まであったようです。
駅の開業と時を同じくしてこの付近に遊園地を作り、
その利用客も見込んで作られた駅のようです。
交換設備はなく1面1線だったようです。
その遊園地は昭和6年には秋保に移転したとのことです。
写真の北に向かう道路は太白団地へ通じる道路です。
太白山駅。
大正3年開業とかなり早い時期からある駅だったようで、
交換設備があり2面2線の対向式ホームがあったようです。
ただし、当時は付近に人家などは全くなく、
年に一度の生出森八幡神社のお祭りのためだけに作られたと言われているようです。
点線のところが太白トンネルで現存しており、このトンネルを抜けるとすぐに駅があったようです。
萩の台駅。
昭和31年開業で月ヶ丘駅同様に短命の駅でした。
交換設備はなく1面1線のホームがあったようです。
西側に2番目のトンネルがあり、現存しています。
またトンネルの上は現在仙台市水道局の茂庭浄水場になっています。
東側の団地は人来田です。
茂庭駅です。
開業から廃止まであった駅の1つみたいです。
交換設備があり、2面2線の対向式ホームがあったようです。
もともとこのあたりは集落があり、利用する人は多かったのではないでしょうか。
このあたりの廃線跡は現在でも道路となって残っています。
北赤石駅です。
開業からある駅で、当初は赤石駅でしたが、大正14年に北赤石駅に改称。
交換設備のある駅でしたが、対向式か島式かは分かりません。
ただ最初からある駅は全て交換可能で、かつ対向式ホームで作られているようなので、
この法則が当てはまれば対向式ホームになると思います。
現在この駅跡の北側は生出小学校赤石分校になっています。
南側の橋梁は赤石橋です。
磊々峡駅です。
開業は昭和21年で、当時は松場駅でしたが、昭和28年に改称。
そもそもこの磊々峡という名称も含めて、秋保電鉄が観光地として整備したとか。
旗立の遊園地も昭和6年には秋保に移ったようですし、
秋保付近には積極的に観光業にも投資していたみたいです。
この駅跡付近には、現在万華鏡博物館が建っています。
終点秋保温泉駅です。
開業当初は湯元駅でしたが、大正15年に秋保温泉駅に改称。
しかし馬車鉄道の申請書類には除木橋、除木場、覗橋と記載してあったようです。
1面2線の島式ホームがあり、北側ホームの先にあった車庫は現存しています。
現在はこの駅跡にもと仙台市電車両で廃止後長崎へ譲渡され、帰還した車両が展示されています。
駅跡の南側は秋保グランドホテルが建っています。
実はこの先、山形まで延長する計画があったそうですが実現することはなく、
後に国鉄仙山線が開通しています。
秋保電鉄については、ネット上などでかなり取り上げられていたので、
いまさら取り上げる意味は無いかなと思いましたが、
いざやってみると結構情報が正確でなかったり、
また秋保電鉄が観光業にも力を入れていた会社だったことも分かったりして、
やる意味は大いにあったなと思います。
最初は馬車による秋保石の輸送からはじまったこの鉄道ですが、
なかなか奥が深い。
今となっては写真や映像なんかも出てきたりして、
ますます興味深くなって行きそうですね。