廃線探索

 2008年1月

 

私には模型以外の鉄道趣味がもうひとつあります。

このページのタイトルになっているとおり、ズバリ廃線探索なのですが、

きっかけになったのは仕事中にふと気づいたことがあったからです。

 

廃線との出会い

2001年頃、私は仕事のため大和町によく行っていました。

それも場所の関係から4号線を通らずに、明通(泉パークタウン工業団地)を通り抜けて、

裏通り(泉ヶ丘小学校の前の通り)から向っていたのです。

幾度となく通っているうちになぜかこんな事を考えました。

「この道路は昔からあったっぽいけど、沿線に家なんかほとんどないし、

富谷方面に向うなら昔から4号線があったはずだよなあ。

何か秘密があるのだろうか?」

普通の人なら絶対に考えないような事ですけども、

当時の私は考えてしまったんですね。

 

しかし、当時の私には調べる術がなかった。

もちろんここに鉄道が走っていたことなど知らなかったわけで、

突破口なんてなかったのです。

ところが、突然その時はやって来ました。

あくる日、本屋で私は「鉄道廃線跡を歩く」という本を見つけてしまいます。

当時はまだ3巻(全10巻)までしか発売されていませんでしたが、

なんとなく面白そうだなと思い、3巻を手にとって見始めました。

そこには衝撃の事実があったわけです。

 

仙台鉄道

その本には仙台鉄道の事が書かれていました。

ただ詳しいルートまでは分からず、例の道路と関係があるのかまでは分からなかったのです。

とにかく何でもいいから情報が欲しい。

本を購入してじっくり見てみると、八乙女駅や七北田駅があることが分かったため、

まずは七北田出身であるお袋に聞いてみました。

「けいべんことか言ってたらしいけどよく分からない。」

それもそのはず。お袋は昭和24年生まれであり、

人間の記憶がはっきりしはじめると言われる3歳の時には、

中新田の路線を残して他は既に休止になっており、列車は走ってなかったのです。

お袋の実家に行った時にも色々聞いてみたものの、乗ったことはないらしく、

七北田川の橋梁の事くらいで詳しい話はほとんど聞けませんでした。

 

同志

そんな時、向陽台に住んでいる同僚(以後A氏とします)にこの話をしたところ、

なんと仙台鉄道のことを調べていると言うのです。

なんでも家の近くの4号線沿いの川岸にレンガの構造物が昔からあり、

それが鉄道の遺構だと知っていたらしく、どんな鉄道だったのか調べていたとの事。

これで一気に調査員は倍増となったわけで、二人で調査を続行することになりました。

 

調査を始めてすぐ、A氏から「すごいホームページを見つけた」との連絡。

そのホームページは東北大学のもので、内容は1991年に発表された仙台鉄道に関する調査報告。

これは今までにないほど詳しく仙台鉄道の事が調査されていました。

現在でもこれは見ることが出来ます。

この時点では他に情報もなく、これは重要なデータになりました。

そして我々はさらなる情報を求めて宮城県図書館に行きました。

通常の資料と違って見るだけしか許されない貴重な資料部門を調べ始め、いくつか資料を発見しました。

写真も白黒ながら出てきました。

資料もある程度そろったと言うことで、ついに我々は現地調査を敢行することになります。

その時の模様はその7で公開致しますので是非ご覧になってみて下さい。

その後、私は時には一人で、時にはA氏と廃線を探索することになります。

 

秋保電鉄

秋保電鉄は「鉄道廃線跡を歩く」を読んでからその存在を知りました。

時々一人で見に行っていましたが、仙台鉄道よりは分かりやすいですね。

A氏とは真夜中に太白トンネルに行ったこともあります。

秋保のアーチ橋が作り直されたことはとても失望しますね。

 

塩釜線

私が見に行った頃は、まだ本線と分岐したところに線路も多少残っており、踏み切りの遺構も確認できた。

その先の築堤は現在も残っていることには残っているが、

一時期重機が入って路盤が削られたか平らにされたかしていたのを確認している。

以前は塩釜の街中に使われなくなった踏切があったりしたものの、

現在はほとんど撤去されて、坂病院付近の道路になぜかレールが半分残されているくらい。

あと現在でも確認できるものは、日本鉄道時代に開業した初代塩釜駅のプラットホームくらい。

本塩釜駅の裏側から出ると建物の基礎みたいになってしまっているが、間違いなくそれと分かります。

 

東北本線通称山線

子供の頃読んだ本のおかげで利府の先に線路があったことは知っていましたが、

まさかこんなに壮大なものだったとは知らなんだ。

今でもしっかりと廃線跡が残っているので非常に分かりやすいですね。

面白いのは根廻トンネルですね。

もと鉄道用だけあってものすごく高さがある。そして暗い。おまけに単線用なので狭い。

でも日本鉄道時代の明治23年に作られたトンネルなので非常に歴史価値の高いものなのだそうだ。

 

仙石線塩釜付近

仙石線本塩釜駅は約25年前に高架駅になったが、

昔はもっと塩釜神社寄り、現在壱番館が建っている所にあったようです。

当然線路も違う所を通っていたわけで、中にはトンネルも存在しました。

残念ながらトンネルはコンクリートで閉塞されていますが、

この付近に住んでいるあるSRCメンバーの話によると、

地元の高校生たちがたむろするのでふさいだ、ということだそうです。

 

くりはら田園鉄道

今となっては廃止されてしまいましたが、私が行ったときはまだ健在。

どちらかというと細倉マインパーク駅付近を見てきました。

ED202という電気機関車と貨車が静態保存されていましたが、こっちが昔の線路跡らしいですね。

旧細倉駅も見てきましたが、ボロボロでお化け屋敷みたいになってました。

 

常磐線逢隈付近

私の友人が逢隈に引っ越したというので遊びに行ったとき、たまたま廃線跡を発見したものです。

トンネルと橋梁でしたが、道路からでもすぐ確認出来るので、

プチ探索にはちょうどいいかも知れませんね。

 

戸井線

いきなり北海道に飛びますが、函館から戸井に至る未成線です。

未成線とはいえ、路盤の約9割が完成していたということで、

ほぼレールを敷くだけの状態のまま放置されています。

私は函館が大好きで6回行ってますが、最近はレンタカーを借りて旧椴法華村にある

水無海浜温泉に行くのが楽しみとなっていて、ここに行く時かならず遺構を見かけます。

一番の見所はコンクリートアーチ橋の連続する区間ですね。

たいがいA氏が一緒なので一回だけ車を降りて、アーチ橋を歩いてみました。

 

富内線振内駅

2006年10月に北海道ツーリングに行ったとき立ち寄りました。

私は車しか持ってないのでドライブでしたが。

駅周りは完全に保存されていて、

D51−23とライダーハウスになった客車2両が静態保存されていました。

A氏も一緒だったので、併設されている記念館も含めかなりじっくりと見学しました。

 

ちほく高原鉄道陸別駅

こちらもドライブで立ち寄りました。

廃止になってからまだ間もないので廃線という感じはしませんでした。

ここにはいくつか車両が留置してあり、念願だった999とも対面できました。

 

ちほく高原鉄道足寄駅

足寄にある有名なライダーハウスに立ち寄ったので、廃止になった駅にも行って見ました。

立派な駅で、今にも列車が来そうな雰囲気でした。

廃止になって半年経っていましたが、この路線の踏切だけは全部撤去されていたようです。

 

根室本線狩勝峠

北海道の廃線といえばここでしょう。

ドライブ中国道を走っていて窓から見ただけですが、築堤などは分かりました。

その手前に新得そばかなんかの建物があり、その裏も廃線跡が続いていたので、

車を止めて少しだけ歩いてみました。

 

士幌線

ドライブ中に糠平温泉に一泊したので、旧糠平駅から旧幌加駅とタウシュベツ橋周辺をじっくり見ました。

糠平駅は現在資料館になっておりましたが、一番面白いのは士幌線の展望ビデオがあったことですね。

外に出てまずは糠平駅跡の散策から。現役当時の姿はとどめておらず、車両も車掌車が止まっているくらい。

レールも敷かれてはいるものの、明らかに枕木の間隔が広く、イベント用に最近敷設したらしいです。

つづいて友人一人をつれて幌加駅方面に向けて歩きました。

このあたりは歩けるように多少整備されたらしいのですが、

奥に行くにつれてぬかるんだり、バラストも浮いたりして歩きにくい所も。

しばらく行くとお目当てのコンクリートアーチ橋が現れました。

残念ながら補強のため手が加えられていましたが、雰囲気はいいです。

そのまま奥に進みましたがトンネルが現れ、柵がしてあり廃線跡は歩けず。

右側に迂回ルートがありましたが、軽装だったこともあり、

引き返してアーチ橋の下に行って、下からも観察して見ました。

翌朝5時におきて軽四駆で来ていた別の同僚を叩き起こし、タウシュベツ橋に向いました。

ほとんど水没していましたが、雰囲気だけは楽しみました。

そのあと幌加駅跡にも行って見ましたが、駅もレールもそのままでかなりいい雰囲気でした。

 

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