三陸鉄道北リアス線

(宮古駅、田老駅)

 2012年3月

 

平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震。

それによって引き起こされた大津波で各地で甚大な被害が出ました。

東北の小さな町と町とを繋ぎ、地元の人の足となっているローカル線も大きな被害を受けました。

今回はその中のひとつ、三陸鉄道を現地に行って見てきました。

訪れたのは2012年3月17日で震災から約1年。

 

岩手県宮古市にある三陸鉄道本社兼宮古駅駅舎。

 

すぐ左側にはJR宮古駅もあります。

 

駅舎に入ると、すぐ小本行きの列車が発車するところでした。

 

南リアス線は全面運休が続いていますが、

北リアス線は宮古と小本間、そして陸中野田と久慈間は運転を再開しております。

信じられないことに、陸中野田と久慈間は震災から5日後の3月16日に、

宮古と田老間は9日後の3月20日に、田老と小本間は18日後の3月29日に、

驚異的なスピードで運転再開をしているのです。

それまでは道路はがれきで通れず、かつ車は津波で流されてしまい、

線路の上を人が歩いて移動していた状態だったそうですが、

部分的にではあるものの運転再開したことで、

ある程度まとまった人の輸送が可能になり、

震災で心を打ち砕かれた地元の人々に、

初めて安心というものをもたらしたのではないでしょうか。

しかも3月末までは無料で運転していたと言うのです。

関係者の皆様の相当な御苦労があったことは想像に難くないですが、

これこそ地元に密着した鉄道の真の姿ではないでしょうか。

 

2両編成の小本行き列車はすぐに発車して行きましたが、

宮古〜小本間は信号ケーブルが断線していて信号機が使えないため、

手旗信号によって合図が出されていました。

またタブレットも使用されているようです。

 

続いて田老駅に行ってみました。

田老地区と言えば、

万里の長城とも言われた海面からの高さが10mの2重のスーパー防潮堤が有名でしたが、

今回はそれを超える高さの津波に襲われたため、

田老地区は壊滅状態になってしまいました。

 

これが万里の長城と言われた田老のスーパー防潮堤。

これは二重構造の2つ目ですが、1つ目は津波で破壊され、

2つ目は約15mの津波に簡単に越えられてしまいました。

 

その津波で破壊された田老観光センターです。

田老駅に隣接しています。

鉄筋構造物なので建物自体は残っていますが、

二階まで破壊されています。

 

観光センター前から見た田老駅。

これだけの高さの築堤上にありながら、津波は築堤の上まで到達し、

震災後はがれきに覆われていたそうです。

 

田老駅のプラットホームです。

1面2線の島式ホームと、何に使うのかは分かりませんが引込み線が1本あります。

 

そのホーム上から見た田老地区の街並み。

建物の基礎だけ残った宅地が延々と広がっています。

 

小本方を見たところ。

信号は使えないので×がしてありました。

交換設備はあるものの、右側の線路は錆びていて全く使っていないようでした。

 

ホームにあったのぼり。

ただ復旧するだけではいずれまた赤字で問題になるでしょう。

地元の人はもちろん、我々も残すために乗らないといけませんね。

 

トミーテックの鉄道むすめシリーズに登場する久慈ありす。

まさかトミーテックもこのような形で使われるとは思ってもいなかったでしょう。

 

とりあえず今回は宮古駅と田老駅だけでしたが、

この日から2日後の3月19日には南リアス線も見てきましたので、

その12で南リアス線レポを紹介します。

 

また4月1日には北リアス線の陸中野田〜田野畑間が運転再開を予定しており、

久慈から田野畑まで行けるようになります。

田野畑〜小本間は2014年4月に運転再開予定とのこです。

 

いち鉄道ファンとして出来ることは限られていますが、

現地に行ってグッズを買ったり、きっぷを買って乗ることぐらいは出来ますので、

これからも続けて行こうと思っています。

 

そして、これは宮古駅で買った漫画ですが、

三陸鉄道が被災してから現在までの様子が描かれています。

非常に興味深い一冊で、色々と考えさせられます。

見かけた方は是非どうぞ。

 

最後に宮古駅で買った復興支援ポスターでも。

 

その1

 

その2

 

以上です。

 

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