JR気仙沼線

(気仙沼駅〜柳津駅、鹿折唐桑駅付近)

 2012年4月

 

前回は大谷海岸駅で日没となったため、日を改めて再視察に行ってきました。

今回は気仙沼駅から現在の終点である柳津駅までの全駅をレポートします。

訪れたのは2012年4月8日。

 

今回のスタートは気仙沼駅。大船渡線のキハ110が見えます。

 

南気仙沼駅に行く前に、JR大船渡線の鹿折唐桑駅に再び行って見ました。

ここにはおそらく駅舎があったものと思います。

 

ホームからあの船を見る。この日も数人が見物に来ていました。

我々は線香をつけて手を合わせて来ました。

 

周りは津波でご覧の通り。

単純に線路を復活させるだけでなく、街づくりを含めて考えていかないといけませんね。

 

ホームから大船渡方を見る。

津波によって路盤はかなりダメージがあります。

 

場所によってはバラストがえぐられてしまっています。

 

少し大船渡方に歩くと、ところどころ枕木が燃えたところもありました。

 

南気仙沼駅に移動。ここも津波が到達。

これは駅舎があったと思われるところで、ホームに向かってスロープが延びています。

 

前回も来ましたが、ホームだけが残っています。

 

スロープから気仙沼駅方を見る。

 

上の位置からアップにして見ました。奥に線路が見えます。

 

通行のため壊されたホーム。

 

隣の松岩駅。ここも津波が到達しました。

 

柳津方を見る。

 

津波によって引きちぎられたホーム。

 

これが松岩駅のメイン部分と思われるホーム跡。

1977と書いてあるプレートがあり、気仙沼線の開通年と一致します。

 

隣の最知駅。ここも津波が到達しました。

 

柳津方を見る。やはりホームは中間部分がなくなっています。

 

気仙沼方を見る。

ここは踏切だったのでしょうが、何も残っていません。

 

隣の陸前階上(りくぜんはしかみ)駅。

ここは高台にあるため津波は来ませんでした。

 

当然無傷なのだろうと思っていましたが・・・

 

地震によって1面2線の島式ホームは崩壊。

 

2番線も崩壊しています。

 

隣の大谷海岸駅。前回はここで日没終了となりました。

 

柳津方を見る。

ここは駅名のとおり、目の前が海岸のため津波で全壊しました。

 

気仙沼方を見る。

線路はホームのところだけ残っています。

 

なのでこの先は線路はなくなったか、撤去されています。

そもそも築堤すらなくなっている箇所もあり、どこが線路だったのか分からないところも。

 

駅舎です。

 

中は津波で壊滅しています。

しかし併設されていた道の駅は仮設店舗ながら再開しています。

我々もお土産を買って、わずかばかりですが貢献してきました。

 

隣の小金沢駅です。

割と高台にあるので大丈夫かと思っていったら、やはり津波で壊滅していました。

タイルのところが駅舎だったようです。

 

海は目の前ですが、結構高台なんですがね。

 

柳津方を見る。

とまれみよの踏切があるものの、見ても列車は来ません。

 

気仙沼方を見る。

路盤は完全に津波で洗われてしまっています。

 

気仙沼方のホームの端。

バラストが線路を覆ってしまっています。

 

そして路盤は一部が津波で崩壊しています。

ここにはもう線路は通せないでしょう。

 

崩壊したところを見る。

あの海がここまで来たわけですから、恐ろしいことです。

 

その小金沢駅を出てすぐのところですが、橋梁が流失していました。

 

反対側の橋台を見る。

このあたりの橋梁はみんなこういった状況になっています。

 

橋脚は基礎だけが残っています。

 

鉄道標識もこの通り。

 

気仙沼方の橋台から柳津方を撮影。

 

ちょっと引いて撮影。

築堤も流失しているのが分かります。

 

同じ場所から気仙沼方を見る。

 

隣の本吉駅。ここは内陸にあるので津波の被害はなし。

 

ただしホームは地震で多少歪んでいるようです。

 

隣の陸前小泉駅。ここはかなり津波の被害がありました。

これはホームの一部と思いますが、道路脇にありました。

 

そこから駅のあったところを見る。

しかし築堤上には駅の残骸がまとめてあるだけで、どこが駅なのかは判明しなかった。

 

築堤上から柳津方を見る。

線路は海側に落ちていました。残骸はホームを支えていた鉄骨だと思います。

 

残骸の先の柳津方にはトンネルがありました。

 

気仙沼方を見る。

 

気仙沼方はコンクリート橋梁になっていますが、途中で流失しています。

 

築堤上から橋梁を見る。

 

目の前が海ですし、海抜10メートルもないです。

ここにはもう線路は通せないでしょう。

 

隣の蔵内駅。ここも津波が到達しました。

 

駅舎です。

 

ここから海までは多少距離があり、さらに高台なんですがね。

 

気仙沼方を見る。

津波によって柵は倒れ掛かり、路盤は洗われて線路は歪んでしまいました。

 

柳津方を見る。

信号でしょうか、倒れてしまっています。

 

駅舎に書いてありました。

誰が書いたのかは分かりませんが、地域だけじゃなくみんながそう思わないといけませんね。

 

隣の陸前港駅。ここは津波で壊滅しました。

ホームで残ったのはこれだけです。

写真は気仙沼方です。

 

残ったホームも柵は津波で倒されていました。

 

柳津方です。築堤も橋梁も流失しています。

 

橋台がひっくり返っています。

本来は金具が付いているほうが上です。

 

橋脚も残ったのは基礎だけ。

 

隣の歌津駅。ここも高台にあったにも関わらず津波が到達。

 

ホームへと続く階段も、津波によって柵が破壊されました。

 

ここは2面2線の対向式ホームを有するわりと大きな駅。

気仙沼方は見た目はそれほどでもないです。

 

しかし柳津方はこのとおりで、反対側のホームは中間がありません。

 

こちらのホームも端っこは歪んでいます。

奥には反対側のホームの残った部分が見えます。

 

ホームから下を見る。

この駅は海抜20mくらいあるらしいですが、それを上回る津波が来てしまったんですね。

 

隣の清水浜(しずはま)駅。ここにも津波は到達しました。

 

柳津方を見る。

線路は津波で押し出されてしまっています。

 

気仙沼方を見る。

コンクリート橋梁の先の築堤は流失しています。

 

横から見たところ。

残ったのはコンクリート構造物だけ。

 

隣の志津川駅。ここも津波で壊滅しました。

ここには駅舎があったと思われ。奥の通路からホームに上がれるようになっていました。

 

ホームから気仙沼方を見る。

ここは2面3線のホームがあり、気仙沼線の駅としてはかなり大きいです。

 

柳津方を見る。

 

ホームから市街地を見る。

中央奥に防災対策庁舎、右側に志津川病院が見えます。

津波は建物の4階まで襲いました。

防災対策庁舎には献花台があり、ここでも線香をつけて手を合わせて来ました。

 

その志津川病院の海側にSLが転がっているのをみつけました。

 

これはC58型16号機。

この近くの松原公園に静態保存されていましたが、津波によってここまで流されました。

 

周りはがれき置場になっているのでかなり悲惨な状況です。

 

テンダの台車も外れています。

 

動輪は辛うじてついたままです。

さすがにこのまま解体されるのでしょうかね。

 

隣の陸前戸倉(りくぜんとぐら)駅。

ここにも津波は到達しましたが、今までの中で一番被害が大きいです。

残っているのはこの構造物だけで、築堤も駅舎も残っておらず、

どこに駅があったのか全く分かりません。

 

柳津方を見ても、築堤らしきものが続いているだけです。

 

築堤上から気仙沼方を見る。

トンネルがあるのでなんとか線路跡だと分かる程度。

トンネル脇の擁壁も崩壊しています。

 

柳津方を見る。

構造物があるので線路跡だと分かる程度。

 

ここに再び線路を引くためには、相当盛土をするか高架にしないと無理でしょうね。

 

隣の陸前横山駅。柳津駅の隣の駅です。

ここは内陸にあるので津波の被害はありません。

 

駅の形態を保っているのでよく観察してみると、築堤は石積みの擁壁で覆われているんですね。

陸前戸倉駅付近で見かけた大きな石の山はこれだったみたいですね。

 

ホームの構造もよく見てみると、陸前小泉駅にあった残骸と一致しますね。

 

ホームから気仙沼方を見る。

一見被害がない様に見えますが、地震によって線路は多少歪んでいます。

 

柳津方を見る。

写真が大分暗いですが、時間は午後6時前でした。

 

そして現在の終点柳津駅。

到着したのは午後6時10分すぎでした。

 

ちょうど列車が到着したところでした。

 

前谷地方。

ここからは信号も点いています。

 

以上で今回のレポートを終わります。

今回の視察で感じたことは、いくら線路を復活させたとしても現在の路線では危険なことと、

津波で街がそのものが壊滅しているので利用者がどうかということ。

 

当該自治体としては早い復旧を要望しているものの、

当然現路線での復旧は無理でしょう。

 

自治体ごとの新しい街づくりと連動して復旧させる必要が大いにあります。

 

もっと鉄道を利用しやすくして利用者を確保すること、

そして駅を中心とした街づくりというものが必要になってくるでしょう。

 

気仙沼線は前谷地から八戸に至る「三陸縦貫線」の1つであり、

この線路の建設は昔から住民の悲願でありました。

 

先人達が苦労して手に入れたものですから、

今を生きる我々がそれを捨ててしまったら、

先人達の苦労が水の泡となってしまいます。

 

赤字路線は切り捨てろ、ということをよく見かけます。

 

しかし何度も言うように、机上の空論だけで簡単に切り捨てられるものではないのです。

 

こういう過疎地域の場合、「使う人が少ない」より「必要としている人がいる」ことのほうが重要です。

 

とにかく、今のままでは困っている人がいるわけで、

その人たちのためにも、少しでもいいから動き出すことが重要です。

 

国、自治体、JRが協力して一日も早い復旧をお願いしたいです。

 

以上です。

 

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